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農家プロフィール

自己紹介

代表取締役 瀧ヶ花 祥晃(たきがはな よしあき)

◆生まれた場所 福井県鯖江市
◆学歴 東京農工大学大学院農学研究科(農学修士)
学歴のところに農学研究科と書いてありますが、専攻は「蚕糸(さんし)生物学」で、カイコやそのエサとなるクワのことを学んでいました。稲作のことは、農業法人に就職するまでほとんど無知でした。
就職してから、稲作についてのあらゆることを学ばせていただきました。
今も稲作をしながら、日々たくさんのことを学んでいます。
同じ作業をしていても、その年の気候によってお米の出来栄えは変わるので、毎年新しい発見があります。
また、違う肥料を使えば当然お米の味も変わるので、「こうするとこうなるのか」と、いつも研究しながら、より美味しいお米を作れるようにしています。注文待ってます。
◆私は、クリスチャンです。プロテスタントの教会に通っています。
多くの人に聖書を読んで欲しいと思っています。悩みがある時、試練にあっている時、疲れた時、失望した時、悲しい時、平安が欲しい時、聖書を読むと、心にグッとくる言葉に出会うと思います。
私の息子が描きました。

私の思うこと

農作業していて思うこと

鍬やスコップを持って農作業をしていると、カエルに出会ったり、ザリガニに出会ったりします。
トラクターや田植え機やコンバインなどの乗用の機械を使っている時はなかなか出会えませんが、地に足を付けている作業では、色々な小動物を見かけます。
鯖江市東部の田んぼでは、アゼの草刈りをしていると、アゼの上にカモの巣があることがあり、稀にヘビを見かけることもあります。しかし、うっかりしてヘビを草刈り機で傷つけてしまうことがあります。動物を傷つけてしまったときは「ごめんなさい」と謝り、自然に感謝する心を大切にしています。

アゼに咲く野の花は、花屋さんに売られているものより小さいですが、私はこのような野の花を見ると心が癒されます。

ここで、ある聖書の言葉を思い出しました。
「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」マタイの福音書6:30

農作業の風景はブログで紹介したことがあるので、興味のある方は一度ブログをご覧ください。Facebookでも紹介します。

農家の仕事のこと

私たち農家の仕事は、食糧を生産することだけではありません。日本の農地を維持し、日本の美しい農村の風景を守ることも、私たちの重要な仕事です。美しい農村の風景は、私たちの心を和ませてくれます。
都会で生活をしている人たちは、休日に、農村や山・川などを訪れると心が洗われるでしょう。
また、人が田んぼを維持し、そこでお米作りをすることによって、多くの生き物がそこに集まり生きるのです。
このような大事な仕事に就けたこと、また、このような仕事を続けていられることを私は大変ありがたく思っております。

お金のこと

事業をしていれば、必ずお金の問題が発生します。
お金は事業を維持したり、発展させたりするために、どうしても必要なものです。
また、快適な生活のためにもお金は必要不可欠です。
しかし、お金をたくさん持ちすぎると、人は正しい判断ができなくなることがあります。
そのため、お金は必要以上に持たない方が良いのかもしれません。

聖書には、このような言葉があります。

「富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ。あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。富は必ず翼をつけて、わしのように天へ飛んで行く。」
(箴言23:4・5より)

「金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。」
(テモテ第一の手紙6:9・10より)

詩のコーナー

私が感銘を受けた詩を紹介します。

【苦しみを越えて】
大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと
神に求めたのに、
謙遜を学ぶように弱い者とされた。
より偉大なことができるように健康を求めたのに、
よりよいことができるようにと病気を戴いた。
幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧しさを授かった。
世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、
神を求め続けるようにと弱さを授かった。
人生を享楽しようとしてあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
神の意に添わぬものであるにも拘わらず、
心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。
私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。

(アメリカ南北戦争中のある無名兵士の詩)

【私と小鳥と鈴と】
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

(金子みすゞ)

【雨上がり】
人は心も体にも
時には雨が降るけれど
雨の降る日は昨日より
きっと晴れるにちがいない

(Shintarou)

【タイトルなし】
以下は、「それでも人生にイエスと言う」という本(V・E・フランクル著)からの抜粋です。

「もし私がそれをしなければ、だれがするだろうか。
しかし、もし私が自分のためにだけそれをするなら、
私は何であろうか。
そして、もし私がいましなければ、いつするのだろうか。」

これは、ヒレルという、2,000年ほどまえのユダヤ教のラビであった人の言葉だそうです。


以下は「″自分らしさ″を愛せますか」レオ・ブスカーリア著の中の一節です。

「人生を選びとるためには、何度でもリスクを冒し、傷つくことをいとわず愛さなくてはならない。」

「希望とは絶望のリスクを冒すことであり、挑戦とは失敗のリスクを冒すことだ。人生最大のリスクは、何のリスクも冒さないこと。自分からは何も行動せず、何も持とうとせず、何者にもなろうとしないことだ。それで苦しみや悲しみは避けられるかもしれないが、学び、感じて、成長することはできない。もちろん愛すること、生きることもできないだろう。自分が安心できることだけにしがみつき、自分自身をしばりつけている。
 真の自由は、リスクを冒す者しか手に入れられない。とにかくやってみよう。」

レオ・ブスカーリアは、どう生きるか、人生の意味について説いた絵本「葉っぱのフレディ」の著者です。

聖書の言葉
「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つ言葉を語り、聞く人に恵みを与えなさい。」(エペソ人への手紙4:29)

「受けるよりも与えるほうが幸いである。」(使徒の働き20:35 )  (ブログを見てください。)

【あしあと】

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。
「私の大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試練の時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」

(マーガレット・パワーズ)       てんまっ子さんのブログに取り上げられています。


 よろこびが・・・

よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする

強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする

しあわせが集まったよりも
ふしあわせが集った方が
愛に近いような気がする

(星野富弘)

【がんばれまつたけ・・・】

がんばれ まつたけ
まつたけ がんばれ
おまえは 山にしか出るな
松の根もとしか 出るな
一年に一度しか 出るな

どんなに 金をつまれても
甘いことばで誘われても
おまえは自分の生き方を変えるな
大安売りのシイタケを見ろ
エノキはビンの中で まるでモヤシだ
頼りにしていた マイタケも 落ちた

がんばれ まつたけ
まつたけ がんばれ
おまえは 自分の生き方に誇りを持て

(星野富弘)




試練に会っている人のために

聖書には、力づけられる言葉があります。

「様々な試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全なものとなります。」
(ヤコブの手紙1章2~4より)

そして、聖書はこのように語ります。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」
(ローマ人への手紙8章28節より)

今の世の中には、いろいろな苦しいことが普通の人々にも容赦なく起こります。
東日本大震災、ISによるテロなど。私たちは、そういう時に、「なぜ?」と思います。
聖書は、私たちに、そのような疑問に対する答えを得させてくれます。
いや、明確な答えはないかもしれない。
しかし、イエス・キリストは、このように語ります。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」
(マタイの福音書11章28・29節より)

聖書をまだ読んだことのない方は、一度、読んでみてください。
そうすれば、あなたはきっと、イエス・キリストに出会うことができます。
そして、新約聖書の多くの部分を書いた使徒パウロは、こう語っています。

「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、その他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」
(ローマ人への手紙8章38・39節より)

さらに、もう一か所。
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」
(コリント人への手紙 第一10章13節より)

「苦しみを通ったことのない偉大な人物がいるとは考えられない。『痛みと試練は大きな知性と深い心の形成に不可欠だ。』」
これは、ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの小説『罪と罰』の中で、主人公のラスコーリニコフが語った言葉だそうです。
(「コロナウイルス禍の世界で、神はどこにいるのか」ジョン・レノックス著より)

「おおむね人間としての深さや成熟は、勝つことよりも負ける事の中で培われる事が多く、人は失敗や挫折を通して、謙遜や優しさを学んでいく・・・」
 「勝ち組」「負け組」という言い方がありますが、「神の息吹を受けた人」(デイリーブレッド社)という本の中で、著者の子安八重子さんがこのように語っています。また、ルターはこのように言ったそうです。「いまだ試練に出会ったことのない人は、希望が何であるか知ることができないだろう。」
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